まぁ、詳しくは競馬の掲示板を見てもらうとして、私が奴を嫌いになった原点を。
ちなみに、奴がマサト(柴田政人)の甥だとは未だに信じられん・・・。
その本当の素性を知ったのは95年の天皇賞・秋(勝ち馬:バブルガムフェロー)。
それまでは、関東のレースは今のように買える訳でもなく(重賞ぐらいしか売ってなかった)、奴の素行を知らずにいた。
ただ何人かいる「嫌いなジョッキー」のうちの一人だっただけなんだが。
この時に奴が乗ったのはジェニュイン。岡部は海外に行ったための代打騎乗だった。
休養明けだったものの府中の2000はどう見てもこの馬にとってベストの条件。
前走の負けで人気落ちしたマヤノトップガンとの馬連50倍は死ぬほどうまかった・・(1番人気はサクラローレル)。