中国紀行⑩

いきなり続きを。もう、2ヶ月も前になるんですね。懐かしいですわ。 えー、5月3日の続きからでしたね。
この日ははじめて一人でまわったので(それまでは叔父さんか留学生仲間のIさんが一緒だった)、かなり疲れました。何せ覚えた中国語はほとんど通じないんですから・・。やっぱり、発音難しいですよ、中国語。もっぱら、英語を使ってました。まさか、北京に来て、英語の大切さを知るとは・・。
この後、中国へ来てはじめて日本食を食べたのですが、お会計(4人で)630元・・・・。普通のメシ屋なら(一人)20元、マックでも30元ぐらいなのに・・・。

5月4日です。 この日は北京郊外の慮溝橋へ。前門という天安門の外側の門からバスで1時間ぐらいの所。このあたりまで来ると、「昔の中国」の一般人の生活が拝めます。 我々日本人にとっては日中戦争(中国では「七・七事変」という。宣戦布告なしだったから、タダの事件という扱いらしい)の始まった場所だが、中国人にとっては、京都の加茂川橋のように「北京の入り口にあたる歴史的建造物」でしかなかった・・。その証拠に天安門と違って、日本人には誰も会わなかった・・・(中心部から遠いのも理由にあると思うけど)。

まぁ、普通の橋です。その後、「抗日歴史博物館」(ここは中国の博物館で唯一、日本語の説明がある)で、日本への非難の展示を見たのだが、思ったのは「自国の歴史はどんなに美化してもいい」だね。 靖国神社の展示館に行ったことがある人間としては、同じ事件(戦争)をよくもここまで違う解釈で取れるなぁ~、と。どっちが合ってる間違ってるではなくて(両方とも多分違ってる)、その解釈のスゴさにですね。

知ってる人もいるとは思いますが、この慮溝橋事件のあと、蒋介石は迫り来る日本軍に対して「黄河の堤防破壊」(黄河の堤防を切り、黄河の北側を水浸しにして、日本の進行を止める作戦。もちろん、住民には事前通告なし。)に出ます。この作戦による中国の一般人の被害者は少なく見積もっても60万人!(100万人という説もある) それは、「日本軍に対する抵抗の一つ」として、軽く触れられているだけに対して、南京大虐殺(一説に死者30万人)には、とんでもないスペースの展示がありますからね。不公平感を感じざるを得ません。まぁ、靖国の展示館の「南京防衛のため」という言い訳をかましているよりはマシのなでしょうけど・・・。

この後は、前門でお買物。一昨日、秀水で80元で買ったチャイナドレスが60元で買えてショックだった・・・。 しかし、中国は見る所、見る所広いので、「1箇所1日」になってしまうため、色んな所に行けないのがツライです。ホントは1ヶ月ぐらいいるのがいいんだろうけど。ただ、1ヶ月もいたら、食う物がなくて(この時期の料理にはほとんど「きゅうり」が入っているので、私には食べれない。また、味付けも「辛さ」「甘さ」などすべての味覚が日本の3倍って感じ。すぐに胃をやられます!)

午後5時半発の電車で天津へ戻る。「指定席」を買ったはずだったのに・・。確かに指定席だった。が、通路にウジャウジャ人が立ってるんですけど・・・。中国には「指定席車両」にも立乗りできるそうです・・・。 ちなみにこの列車は、週1回の「北朝鮮・平壌」行きの国際列車でした。20両ぐらいの編成で、うしろの2両だけが平壌まで行くらしい。降りるときに「どんな奴が乗ってるや?」と思って近づこうとしたら、鉄道警察官に手で払われた・・。近づくにも許可がいるし、まだ、夕方だというのに、窓には全部黒のカーテンがかかってるし、やっぱり、ヘンな国やで、北朝鮮!

5月6日、帰りの船編です。/ 長かった中国の旅もこの日で終わり。この前の日、船旅に備えて休養し、さらにお土産を買い込み、準備は万端。そして、朝8時。天津の叔父の家を出て、天津港に向かう。港では往路で一緒だった留学生の門君・公務員のHさん、M夫妻に再会。お互いに、1週間の報告をしながら、船の出港を待つ。Hさんはこの前日、門君のウチに招かれて(門君の一族郎党集合で)総勢14人の送別会をやって朝まで飲んでたらしく、二人とも顔が死んでた・・。 行きは快適だったのに、だったのに、のにー・・・。 帰りの船(特に火曜日の夕方~夜。韓国半島から対馬に向かう頃)はムチャムチャ揺れた。かなりの船旅をこなしている私だが、あれほど揺れたのは台風の中、伊豆大島に行ったとき以来だったと思う。 私ですら、寝ていないと酔いそうだったぐらいだから、他の人は寝てても酔ったと思う。実際、Mさんの奥さんは関門橋に入るまで(瀬戸内海に入ると、どんな天気でもそんなに揺れない)、水すら口にできなかったと聞いた。

が、そんな大揺れの玄海灘を航行中の夜9時。カラオケルームから音が漏れてくる。「誰?」と思いつつ行ってみると、Hさんと(その同室の)中国人の人の張さんが歌ってる! 「いやー。どーせ酔うんだったら、酒の方がいいかな、と」とHさん。「ワタシ、ゼンゼンヘイキ。コンナノ、ユレルウチニ、ハイリマセン」と張さん。超人や・・・。さすがに、私はコーラで我慢してましてた。しかし、客がこの3人(とあとから門君も来た)だけだったので、たっぷり乗務員さんとお話することができました。陳思さん、キレイやったなぁ~。 (陳さんは日本語知らないので)、門君が(中国語で)「日本のキレイな人は『オバチャン』って言うんだよ」って大ウソこいたんで、みんなで陳さんに、「You are very OBACHAN!」(陳さんは英語はできる。まだ23です。)とか言って、大ウケしてましてましたわ・・・。 昼2時、神戸到着。そのあと出国審査だの、関税とかの審査があって、解放されたのは、4時ぐらいだったでしょうか。最後に、門君とHさん、M夫妻にメールアドレスを伝えて、再会を約束。こういうのが、船旅のイイ所でしょうか?/終わり


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