その1
ただ、ベストゲームが「伊野商×PL」と書いたように、オレも基本的には、「田舎の公立高校」が「野球名門校」を倒すのが好きです。そういう意味では今年の決勝も嬉しかったのは確かです。ただ、叶うなら、無失点エースが先発して、1-0で完封して欲しかった。そうすれば、トミオを超えたわ(笑)。
今でも、清原の3三振は思い出せる。そして、トミオが凄かったのは、その翌日(決勝)も先制タイムリー+3塁を踏ませず、5安打完封をしたという所だ。
桑田? 松坂? いや、今でも、そしてこれからも、オレの中では、史上最高の高校生投手は渡辺智男であり続けます。
その2
懐かしい名前出た。山田喜久夫・・・・。
オレは小学生の頃、少年野球をやってました(センター兼控えのキャッチャー)。そして、そのチームのエースは東邦に行ったんです。阪口監督の下で野球をやりたいって。そいつは2年生になったとき、10番を貰いました。控えのピッチャーってことです(1番は3年生)。
その年の愛知大会決勝。それまで先発していたエースにかわり、オレの同級生が先発しました(ちなみに、キャッチャーは阪神に行った山田勝彦)。相手は後藤(元巨人)と同じ2年生ピッチャーの木村龍治(青学ー巨人)がいた中京。「勝って欲しい」。高校野球を見ていて、これほど片方に肩入れして見たことがないぐらい、祈るように見ていました。
しかし、負けた。そこまではよくある話ですね。
翌春。東邦は中京とともに、センバツ出場を決めました。2年生で、決勝の先発をしたのです。3年生になったら、当然、エースナンバーを背負ってるモンだと思いました。が、センバツでも10番。1番は・・、新2年生の山田喜久夫でした。「故障でもしたのか?」と思いましたが、キクちゃんは、1人で投げ抜き(準々決勝では、川崎憲次郎のいた、津久見にも勝って)、あれよあれよと準優勝。
オレの同級生は、伝令してました・・・・・。よくある話ですね。
その後、キクちゃんは、翌年のセンバツで上宮に勝って、優勝し、中日に入った。さらに、広島に移ったあと、今は横浜でバッティングピッチャーやってます。オレの同級生は・・・・・、高校で野球は辞め、実家の米屋継いでます。これもまた、よくある話ですね(笑)。