(「柴田善臣論」は3月ぐらいに書きましたので、合わせて読み返して頂けると幸いかと・・・) 私がこのジョッキーの名前を知ったのは奴がゴールドシチー(皐月賞・菊とも2着)に乗っている頃だ。それからしばらくは「いち、地味なジョッキー」という感想でしかなかった奴だが、私が奴を「プロ」の目で見ることとなったのが、5年前から。そう、私の愛馬のデビュー戦に奴が乗ることなったからだ。 この馬は福島厩舎の所属。初戦が(厩舎所属の)原田君じゃなく、奴が乗ると知ったときは、正直嬉しかったもんだ。初戦、道中後方のまま最後に追い込んで7着(4番人気)。2戦目、同じ競馬で10着。3戦目、4戦目・・・・・・・。全部同じ競馬やんけ! 5戦目の函館開幕週。同じ競馬だったものの、前を行く馬の脚が止まって、クビ差の2着。小回りの函館・開幕週を考えれば、この競馬(道中後方・直線一気)をした馬の評価は高かった。「もう少し、道中前にいれば」誰もが思ったはずだ。 6戦目・7戦目、特に6戦目は1番人気になるものの、同じような競馬で大敗。このときに私は思った、「あとはジョッキーが上手く脚を貯めて、展開が向くといいな」と。
当時の私は(親バカそのものだが)、まだ奴の腕を信じていたのである。 8戦目・10月の福島の3歳未勝利。やっと、3回目に当たった待望のレースだ。小回りの福島・(出走ラッシュで)多頭数。今度は奴も(馬が嫌がっても)前に行ってくれるだろうと信じた。が、同じ競馬・・・・。 「ううううう・・・。馬に行く気がなければ仕方ない。ジョッキーのせいじゃない」と思ってた、レースが終わった後は。 9戦目も福島。原田君に乗り替わる。「うーん、調教師に見捨てられたかな?」と思った。が、原田君は中団につける、いつもとは違う競馬で4着に。奴に対して「おかしい」と思い始めたのは、このときからだ。原田君はいとも簡単に中団につけて見せたからだ。 それが確信に変わったのは、10戦目の名古屋競馬場。 福島の未勝利が終わり、地方に舞台を移したサバイバルレース。当然の1番人気に推された我が愛馬は、原田→本田の乗り替わりで必勝態勢。しかし・・・・・。奴は、前と同じ戦法(名古屋の1400で道中最後方! クロフネだって勝てるかどうか怪しい位置だ!)で2着!
さすがの私もこのときはキレたね(名古屋だから、テレビで見てた)。この後、愛馬は12月の笠松で最終戦を1番人気で迎えるものの(今度の鞍上は原田君)先行し、そのまま伸びず、3着に敗れる。しかし、このレースは、それまで芝のレースばっかり使ってたんで、「ダートは今イチだな」と納得はしました。 原田君が乗った2戦はそれなりに納得しました(弱い、というか条件が合わなかった、と)。それに比べて、奴が乗った9戦は(2着になったときでさえ)1度も納得したことないわ! とにかく奴には(ヨシトミにも言えるけど)「勝つための作戦」を考えるという思考能力が一切ない! ただ、馬に乗って馬場を回ってくるだけ。言ってみれば、(星野が監督になる前の)阪神のレギュラー選手みたいなもんです。 んで、いつもそうだから、たまに勝とうと考えると、トンでもない作戦(シロートが見ても失敗するような)を考えるんですわ。 正直、奴に比べればヨシトミは、まだ「マシ」だと思います。何故なら、「上手いから」。奴は言って見れば「阪神の名手」。それに比べて、奴は「阪神でも下手と言われるような」ジョッキーだと思います。
テイエムオーシャンのオークス。あれは、奴じゃなきゃ、絶対に勝ってたはずです。あんな、「MAX of 中途半端」な騎乗をクラシックの1番人気でするようなジョッキーは初めて見ました。 1989年のダービー。弱冠21歳(今で言えば、梶君が乗るようなもんや)で1番人気のメジロライアンに乗ったノリ(横山典弘)は、アイネスフウジンに逃げ切られた後(今ではもう、あのときのノリの騎乗を非難する奴はいませんが、当時はそりゃ、ヒドイもんだった)、「仕掛けが遅れたんではありませんか?」とインタビューで聞かれ、「オマエが乗って、勝ってみろ!」と暴言を吐いたのは有名ですが、それぐらい自分の騎乗に「自信」があったのでしょう。 この21歳のノリと今年で43歳になる本田。どちらが本物の「ジョッキー」であるかは言う必要もないでしょう・・・・・・。